2014年12月3日水曜日
「漂白される社会」を読みました
私もすでに漂白済みなのでしょうか。
「漂白される社会」
著者の開沼博さんは、「フクシマ論」で一躍有名になりましたね。
そこに生活している個人の姿を真正面からとらえ、
もやもやしたものをもやもやしたまま描き
安直な流れに迎合しない姿がカッコいいです。
私たちが住む社会を
平和かつグレーのないものにしようと
必死に「漂白」してきたがために、
そこに厳然と存在するにもかかわらずそこにあってはならないとされた
猥雑なことがらが
どんどん見えなくなっていく。
偏見や思い込み、上から目線の画一化で
眼に入ると煩わしいものを綺麗に視界の外に片付けてしまう。
この通底するテーマのもと
日本社会の「スナップショット」が12枚提示されています。
ホームレスギャル
未成年売春
違法ギャンブル
偽装結婚 などなど…
特に印象深かったのは、ヤミ金と生活保護を扱った第四章。
貧困者=健気に頑張る素朴なひと
という図式も
貧困者=努力しない落伍者
という図式も
もちろんどっちも間違っていて
貧困状態にある人のなかに
聖人君主のような人もいれば
狡猾な人、怠惰な人、箸にも棒にもかからない人も
もちろんいるわけで、
しかし現在社会では
本書の表現を使うなら 「純粋な弱者」 のみが許容される
という指摘。
SNSをみていると
上記のどちらかの図式だけを盲信している意見が
非常に多いなとも思いますし、
自分もその一員であったと深く反省する次第です。
自分には関係ないこととして、猥雑なものを切り離す。
この末路がどのようなものかは、
先日ブログに書いた「女子高生の裏社会」でも扱われていますね。
「信じがたい」状況を目の当たりにしたときに
情報をどのように処理し
どのような方向性で取り扱うか
そのお手本を提示されたのだと思います。