2017年1月31日火曜日

米国での貧困と子どもの健康(part 2)



何回かに分けて,Poverty and Child Health in the United Statesを翻訳します.

米国小児科学会(American Academy of Pediatrics:AAP)が
2016年3月に公表したポリシーステートメントです.
Pediatrics. 2016;137(4):e20160339




問題は何か(承前)


 2014年の国勢調査のデータによれば,米国で18歳以下の子どものうち推計上21.1%(1550万人)が「貧困」(例:2014年時点での収入が連邦貧困水準(FPL,4人世帯で24230ドル)の100%未満)に区分され,42.9%(3150万人以上)が「貧困,準貧困,または低収入」(収入がFPLの200%未満)に区分される.そして約9.3%(680万人)が重度貧困(収入がFPLの50%未満)に区分される.2014年で,補助的栄養支援プログラム(SNAP)を支給されている世帯に住む子どもは1600万人と推計されている.そして、2007年から2010年の間で、530万人の子どもが財産差し押さえの影響を受けていた。

 患者背景は,その家族や地域が貧困や低収入を経験する確率に深く影響する.たとえば,アフリカ系アメリカ人,ヒスパニック,アメリカ現住民族やアラスカ現住民族の子どもは白人やアジア系の子どもと比べ貧困の中で生活する可能性が3倍になる.乳幼児は年長の子どもとくらべ貧困の中で生活していることが多い.

 生まれながら貧困の中にいる子どももいるし,幼少期にずっと貧しい家庭環境にいる子どももいる.最も多いのは,貧困から抜け出たり再度陥ったりを何回も繰り返す子どもたちだ.幼少期のうちのある期間に貧困を経験する子どもの割合は約37%である.生まれながらに貧困で,ずっと貧しい状況に暮らすことの方が子どもにとって悪影響をきたす危険性が高い.しかし,どんな短期間でも貧困を経験するということは,食事が確保できない,住居が確保できずホームレス状態になる,医療にかかれない,学校にいけないといった困難に子どもが直面することになりうる.

 機会の均等はアメリカンドリームの肝要であり,社会移動つまり次の世代には経済状態がよくなっている可能性があることが機会の均等を反映している.しかし,社会移動は測定が難しい.30歳時点での収入とその親の収入を比べるのが通常の測定方法であることがその理由である.測定が困難であるにもかかわらず,大半の研究者は,米国ではここ10年間で貧富による資産と機会の格差が広がってきたために,社会移動が困難なものになってきたという見解に同意している.欧州諸国や他の先進諸国と比較して,米国の社会移動の順位は最下位に近い.2015年のピュー慈善信託の報告は,親の収入のアドバンテージの影響はどの階層においても持続的であるが,とりわけ裕福な家庭に生まれた子供で影響が強いと述べている.親の経済的アドバンテージが持続的であるということは,男児の収入が父親の収入に強く影響を受けることを意味しており,社会移動が小さいことを示している.結果として,貧困層の経済状態が改善する可能性は劇的に低くなる.貧しい子どもは貧しいままであり,機会が乏しいまま生活することとなる.裕福な子どもは大人になっても裕福であり続け,学歴も就職上もアドバンテージを享受する.

 収入の不平等と機会の不平等につながる社会移動の傾向は、有色人種で更に顕著である。大恐慌からの回復の過程で、米国における収入の不平等は加速し、上位1%の世帯収入が全体の91%を占めるようになった。回復から取り残されたのはアフリカ系アメリカ人世帯で、不景気の間に平均して貯蓄の35%を失った。アフリカ系アメリカ人の雇用率は悪化し、持ち家のある割合は減少し、子どもの貧困は、6歳以下で平均46%となるまでに深刻なものとなった。社会移動は収入下位25%層で最も低いため、幼少期に貧しかったアフリカ系アメリカ人の子どもの半分は大人になっても貧しいままであり、その貧困率は同様に小児期に貧困を経験した白人の約2倍である。
 人種分離の負の遺産と環境的人種差別は、大半が都市化した地区における深刻な貧困地域として現存しているが、貧困の分布はここ10年間で変わりつつある。その一因は住宅機器と大恐慌である。2008年以降、郊外は都市部、農村部以上に貧困の増加が著しく、そして早かった。経済的ストレスに晒される子どもと家族の分布構造がこのように大きく変化したことで、新興のニーズにもはや対応できない可能性のある現在の契約やサービスの提供システムが再評価される必要がある。


2017年1月24日火曜日

米国での貧困と子どもの健康(part 1)



何回かに分けて,Poverty and Child Health in the United Statesを翻訳します.

米国小児科学会(American Academy of Pediatrics:AAP)が
2016年3月に公表したポリシーステートメントです.
Pediatrics. 2016;137(4):e20160339


米国と日本では社会情勢も医療システムも異なりますが
科学的根拠に基づきながら
子どものため家族のため社会のために
子どもの貧困に真正面から取り組む
米国小児科学会の姿から学ぶものは多いはずです.


小児科研修中に指導医から訳すよう依頼されたことがきっかけです.
趣味と実益を兼ねているのでありがたいです.


Poverty and Child Health in the United States


【要約】

米国の小児の約半数が貧困かそれに近い状態で生活している.米国小児科学会は,米国における子どもの貧困を減らし最終的には根絶する取り組みを行っている.貧困ならびに関連する健康の社会的決定要因は,身体的健康,社会経済学的発展,教育上の達成に悪影響を与えることで,小児期だけでなく生涯にわたって健康に有害な結果を引き起こしうる.米国小児科学会は,貧困の中で生活する子どもと家族の生活の質と健康状態を改善することが示されているプログラムや施策を提言している.貧困が子どもに与える影響に気付き理解することで,小児科医や家族中心メディカルホームの小児に携わる専門家は家族の経済的安定,社会資源の利用,地域社会の構成員と協働したケアについて評価することができる.研究,提言,継続した教育がさらに進むことで,小児科医は貧困の中で生活する子どもをケアする際に健康の社会的決定要因に目をつけ活用することがますますできるようになる.このポリシーステートメントに付随する形で,子どもの貧困と,子どもが健康で元気でいることに貧困が影響を及ぼす機序について現在分かっていることを記した技術的レポートも掲載した.


【略語一覧】 (訳注:MIECHV,VIPは定訳がないため訳語は訳者による)

AAP:米国小児科学会(American Academy of Pediatrics)
CHIP:児童医療保険プログラム(Children's Health Insurance Program)
EITC:給付付き勤労所得税額控除(earned income tax credit)
FCMH:家族中心メディカルホーム(family-centered medical home)
FPL:連邦貧困水準(federal poverty level)
MIECHV:母子訪問事業(Maternal, Infant, and Early Child Home Visiting)
SNAP:補助的栄養支援プログラム(Supplemental Nutrition Assistance Program)
SPM:補完的貧困値(Supplemental Poverty Measure)
TANF:貧困家庭一時扶助(Temporary Assistance for Needy Families)
VIP :ビデオ交流プロジェクト(Video Interaction Project)
WIC:女性,幼児,小児のための栄養支援プログラム
(Supplemental Nutrition Program for Women, Infants, and Children)



問題は何か

 貧困は健康の社会的決定要因として重要であり,子どもの健康格差の原因となる.貧困を経験した子どもはその後の生涯を通じて健康や発達が大いに損なわれる危険性があり,特に幼少期に貧困であったり長期間貧困であったりする場合に顕著である.貧困は,体重,乳児死亡率,言語発達,慢性疾患,環境暴露,栄養,外傷といった事柄一つひとつに重大な影響を与える.子どもの貧困は,有毒なストレス暴露により遺伝子機能や脳の発達にも影響を与える.この状態は「安定した応対関係が形成されていないために衝撃緩和機能が働かない状況下で生理的なストレス反応システムが過度に長期間活性化してしまう」という特徴がある.貧困の中で生きる子どもたちは,注意欠陥,衝動性,犯行,乏しい友達付き合いのように,自律や実行機能に関する障害の危険性が高くなる.貧困は子育てを難しくする.食事,エネルギー,交通,住居が不十分であるという懸念があれば特にそうである.

 子どもの貧困は,生涯を通じた困難を生み出す.発達面,心理社会面での問題は,当事者である子どもや家族にとってだけでなく,社会全体にとって重大な経済的重荷である.たとえば,高校を中退した子どもは10代で子を持つ割合,無職である割合,収監される割合が高くなるが,これらはすべて明白かつ重大な社会的,経済的コストである.子どもの貧困は神経内分泌の異常調節に関連しており,脳の機能を変え慢性的な心血管,免疫,精神疾患の発症の一因となっている可能性があることを示す研究がますます増えてきている.子どもの貧困があることで社会に課せられる経済的コストは,将来失われる生産性と公的支出の増加の予測から推定される.2008年以前に編纂された研究では,生産性の低下と犯罪対策やヘルスケアにかかる費用の増加によるコスト総額は年間約5000億ドルと算出された.機会のある青少年,つまり就職もせず教育も受けていない16歳から24歳の若者に関する他の研究でも同様の結果がでており,生涯にわたるコストは集団全体を総計すると数兆ドルになる.

 米国の子どもの貧困は,同様の資源がある国々のなかでトップクラスである.2012年の国際連合児童基金レポートでは,2007年から09年の大恐慌の只中または直後の期間で米国の子どもの貧困率はOECD加盟35カ国中34位であった.OECDの2014年のレポートでは,米国は40カ国中35位で,下にいるのはチリ,メキシコ,ルーマニア,トルコ,イスラエルだけであった.このポリシーステートメントは米国での子供の貧困を特に扱うが,世界中のあらゆる形態の貧困をなくすための2015年国連持続可能目標も反映している.



2017年1月17日火曜日

精神疾患患者の健康格差をなくすには(part 7 final)



NEJMのMEDICINE AND SOCIETYに
3週連続でLisa Rosenbaumが精神疾患について寄稿しています.

そのうち,2週目のテーマが
「精神疾患患者はなぜ寿命が短いか」
であり,じっくり理解したい内容でしたので
いつものとおり何回かに分けて全文翻訳していきます.

なんとか最後にこぎつけました.時間かかりました.


Closing the Mortality Gap — Mental Illness and Medical Care
Lisa Rosenbaum, M.D.
.
N Engl J Med 2016; 375:1585-1589



私たちのシステムと私たち自身


 集中的な調整が必要であることは、身体的治療と精神科的治療とを結合するために設計された統合ケアモデルの魅力の説明になる。Levineの診療は、Massachusetts Mental Health Centerでの包括的な精神保健サービスにプライマリケアを埋め込むものであるが、このようなアプローチの試行版となっている。このようなモデルにより健康格差が縮まるかどうかは分からないが、私たちのシステムを通じて今後の見通しが簡単になるだけでも価値のある事だろう。しかし、変革的なケアモデルはケアの質を大きく改善することはできないもので、その原因の一端は、責任が微妙に変化することで振る舞いが変わることにあるという話もきこえてくる。「壊れたシステムを治す」ことに着目したからといって、私たち自身の中から生まれる解決策を探すのをやめるのだろうか。

 統合のような抽象的な概念は、助けを必要としている具体的な患者にとって何を意味するのだろうか。つまり、コントロール不良の糖尿病があり、薬物依存の治療中であり、グループホームで階段から突き落とされて片目を失明し、40分を費やして薬物療法を整理して緊急の眼科受診を予約したあとに自分は妊娠しているからそのことを今回の診察で相談したいというような精神疾患患者にとっての意味である。

 Levineがそのような患者に優しく思いやりを持って行く先を示しているのを見て、私は自分の血圧が上がっているのを感じながら、私たち全員が彼女のようにがむしゃらに頑張るべきだと結論するのは楽天的すぎると実感した。重度精神疾患患者は私たちにとって最もタフな患者であることが多い。私たちの現在のシステムの中で患者のニーズになんとか対処しようとすると圧倒されてしまうのは当然であり、だからこそシステムの変化は喫緊の課題なのである。しかし「システム」は私達のような人々が何百万も集まって構成されている。精神疾患患者のケアを有意義に改善するためには、マサチューセッツ総合病院の精神科医Oliver Freudenreichの言うとおり、「ケアの統合とは態度の問題である」ということを認識しなくてはいけない。

 ケアを損なう態度のうち容易に改善できるものがある事は疑いない。より効果的に治療拒否と交渉すること,より巧みに意思決定能力を評価すること,ケア全体を統合しようとする努力が不十分である時を認識することは実現可能であるだろう.一方,重度精神疾患患者が真に必要としているものは私たちが提供できるものではないという集団的信念に打ち克つのは困難を極める.

 この難題を実感することが数週間前にあった.夜遅く家路についたときのことだ.服の乱れた女性が苦悶の表情で「どうしたら家に帰れるの?」と泣き叫んでいた.どこかで見た顔であり,以前も路上で見かけたことがあるのだろうと考えていた.しかし,逆方向に歩を速めながら,数か月前までその女性は私の患者であったことに思い至った.彼女は心不全であり,そのとき私は彼女を治療する方法を確かに知っていたのだ.いま彼女は精神病状態であり,おそらくホームレス状態でもあった.私は何もできなかったのだ.私は歩みを止めなかった.私たちは医師と患者ではなく,夜遅く路上にいるただの二人である,どちらも家に帰りたがっている二人に過ぎないのだと自分に言い聞かせながら.
 

2017年1月10日火曜日

精神疾患患者の健康格差をなくすには(part 6)



NEJMのMEDICINE AND SOCIETYに
3週連続でLisa Rosenbaumが精神疾患について寄稿しています.

そのうち,2週目のテーマが
「精神疾患患者はなぜ寿命が短いか」
であり,じっくり理解したい内容でしたので
いつものとおり何回かに分けて全文翻訳していきます.

次回でラストです.


Closing the Mortality Gap — Mental Illness and Medical Care
Lisa Rosenbaum, M.D.
.
N Engl J Med 2016; 375:1585-1589



村全員が総出で行う

 内科医であり the Boston Healthcare for the Homeless Programの共同設立者であるJim O’Connellが,頭皮に小さい基底細胞がんができた統合失調症の男性を診ていたときの話だ.16年間にわたって,O’Connellはがんの治療をうけるよう言い続けたが,患者は指導に従わずがんを自分でむしり取っては再発してを繰り返し,ついにはがんが後頭部に浸潤し脊椎に転移してしまった.患者は手術のため入院し,そこで医学的,精神的治療を受けて精神状態は安定化した.しかし治療は遅きに失していた.精神がしっかりしたことで,かえって後悔の念に苛まれることになった.患者が存命中に,O'Connellはこんな言葉を何回も聞いた.「どうして先生の言う通りにしなかったのか今となってはわからないよ.」

 「何かできるかもしれないのに,病気がいつ致死的になるのかわからないこの状況で完全に行き詰ってしまうんだ」とO'Connellは言う.慢性疾患を持ちながら長年生きる多くの重度精神疾患患者と同様に,この男性も差し迫った危険を感じていなかった.だが最後はその危険に命を奪われた.

 死期が近い患者が高リスクの治療を拒否するのを承諾する傾向にあることが死亡率の格差に一因となっているかもしれないが.寿命を伸ばす機会の殆どはもっとずっと早期の段階に訪れるので,慢性疾患のマネージメントに対する介入に対しての態度の方が健康格差により影響を与えていることが考えられる.課題は,悪性のバイアスが招く受動性を適切に選択を尊重することから区別することである.意思決定能力は,それを有しているかいないかの二つに一つであるように思われるが,実際にはそこまで重要でない決定では能力の閾値は下がる傾向にある.例えば,スタチンの服用やマンモグラフィー検査を強制するのは一般に不適切なことであるし,これはゆっくり成長する基底細胞がんの切除にも当てはまることでもある.

 しかし,強制が正当化されることはめったにないにもかかわらず,「あなたができることはそこまでだ」という合理化は怠惰を敬意とあえて誤解釈する.強制をせずとも私たちにできることはたくさんあるのが普通だが,治療をしっかり提供するより,治療を「患者が拒否した」とカルテにかくことの方がずっと簡単である.

 重度精神疾患患者に下部消化管の定期検査を行う際に必要な労力について考えてみよう.
検査を行う意義を理解してもらうには何回か受診してもらう必要があることが多い.そして.それができる医師は大抵何年もかけて信用を構築してきている.患者が同意したら,前準備をどのように進めていこうか.国患者がホームレス状態であったらどうするだろうか.前日から入院させる,あるいはグループホームのスタッフと密に連携をとるという方法がある.しかし,ほんのちょっとしたこと,例えば早い時間の予約に間に合うよう起きるのが難しい,間違って朝食を食べてしまったなどで,すべて水泡に帰す可能性がある.内視鏡検査をもう一度試みることになった1人の男性患者が,最初は検査の前に家に送り届けられたことについて話してくれた.「僕はパジャマまで着ていたんだ」.患者の言うパジャマとは病院のガウンのことである.彼は家まで帰る交通手段がなかったので,看護師が送ることになった.Levineは私たちのシステムの中で重度精神障害患者を引き受けることの難しさを強調するストーリーをたくさん話してくれた.「"村全員が総出で行う"という慣用句ではとてもじゃないけど表現できない」とLevineは言った.




2017年1月4日水曜日

精神疾患患者の健康格差をなくすには(part 5)



NEJMのMEDICINE AND SOCIETYに
3週連続でLisa Rosenbaumが精神疾患について寄稿しています.

そのうち,2週目のテーマが
「精神疾患患者はなぜ寿命が短いか」
であり,じっくり理解したい内容でしたので
いつものとおり何回かに分けて全文翻訳していきます.


Closing the Mortality Gap — Mental Illness and Medical Care
Lisa Rosenbaum, M.D.
.
N Engl J Med 2016; 375:1585-1589




患者を理解する

 分かった.強制が忌避すべきことだとしよう.次の質問は明白だ.患者が納得して必要な医療を受けてもらうより良い方法はあるのだろうか.ひょっとするとこの質問は正確に言うと問題を孕んでいるのかもしれない.MacArthurテストを考案したコロンビア大学の精神科医であるPaul Appelbaumは30年以上前の研究で,治療拒否の理由は大抵のばあい複雑であり,コミュニケーション不足,信頼の欠如,抑うつや妄想といった心理的要因の存在が関連していることを示している.ところで彼の観察によれば,「医師は,患者と話すことで拒否の根底にある要因を明らかにすることにほとんど労力を割いていない.」

 この研究の今日的意義は,患者を理解しようとするちょっとした努力が救命につながりうると強調していることだ.たとえば,大きな肺がんのある患者が救命の唯一の手段である外科的手術を拒否しているとする.Appelbaumなら,がんは空気と触れると広がっていくと耳にしたのだと患者や妻から聞き出しただろう.多くの場合,手術チームが時間をとってこのような間違った信念を取り除いていけば,方向転換は容易である.

 ところで,間違った信念と妄想の境界線はどこだろうか.心臓発作から数か月後,Levineは診察室でD氏を診ていた.D氏は内服を止めていた.自分の心臓は「美しい」と他の医者が言っていたというのが彼の言い分だった.Levineは心電図を再度見ながら,この前の心筋梗塞がどの程度だったかを伝えた.以降,D氏はLevineに顔を見せることはなくなった.診療の場をうまくコントロールできなかったことをLevineは悔いている.「患者の妄想を直接否定するなんて絶対すべきではなかった.」でも,患者にまず心臓に病気があると理解してもらわないと,心臓の薬を飲んでもらうなんてできないよという私の声掛けに,Levineはこう答えた.「私はこう言うべきだった.あなたの美しい心臓をずっと美しくしておきたいの」