2016年12月28日水曜日

精神疾患患者の健康格差をなくすには(part 4)



NEJMのMEDICINE AND SOCIETYに
3週連続でLisa Rosenbaumが精神疾患について寄稿しています.

そのうち,2週目のテーマが
「精神疾患患者はなぜ寿命が短いか」
であり,じっくり理解したい内容でしたので
いつものとおり何回かに分けて全文翻訳していきます.

前回記事「能力を評価する」の続きです.


Closing the Mortality Gap — Mental Illness and Medical Care
Lisa Rosenbaum, M.D.
.
N Engl J Med 2016; 375:1585-1589



 患者に何かを強制せざるを得ない事態は私たちの宿命であるが,これは法的なジレンマを想起させる.治療拒否の意思決定能力を有していない患者に必要な治療を提供しなかった過失責任で訴えられることもあるだろうし,同様に意思決定能力が欠如していると誤判断し患者の意向を無視したばかりに訴えられることだってありうる.Bagleyは,裁判所が後知恵で批判する後医としてふるまうことは「非常に考えにくい」と強調しているが,それでも「法的リスクが完全に排除できないことで医師は躊躇してしまうだろう」と述べている.

 さらに悪いことに,患者が意思決定能力を有しているかはっきりしないのはよくあることである.私はよく,患者に復唱させて万事足れりとしてしまう.例えばこんな感じだ.「カリウムがこんなに高い状態で帰宅したら死んでしまうかもしれないですよ,わかってますか.」もし患者が「死んでも構わない」と言ったら,その会話をカルテに書いて,こう自分を納得させる.「ほかに何ができるって?」だが実際は,できることはたくさんある.

 MacArthurテストは4つの基準を評価するものであり,意思決定能力を測定するツールとして最も広く使われている.以下の4つを達成すれば意思決定能力があると評価される.①選択肢を伝えることができる,②関連情報を理解できる,③自分の状況とその結果を実感していると示すことができる,④治療選択を論理的に考えることができる.「理解」が関連する医学的事実をつなぎ合わせる能力を反映するのとは違い,「実感」はそれらの事実が自分に関係しているという感覚を必要とする.自分の腎機能が衰えていなくても,腎不全が致死的な高カリウム血症を招きうると「理解」することは可能である.

 より良質な意思決定能力評価のトレーニングが必要なのは明らかだが,どんなにトレーニングをしても,法律と倫理の分断に橋をかけるのは不可能だとも思う.意思決定を担い患者の考えを大事にするよう倫理的に託されているのだという考えが優勢になるにつれ,法的基準に則り患者の望みを無視することを正当化することはまずます下火になっていく.法律的には,消化管出血の治療を受けたばかりのしっかりした女性が娘の結婚式に出るために下部消化管内視鏡を拒否することは,妄想症の女性が前処置に蛇が含まれていると信じ込んでいることとは区別されるだろう.しかし,私たち医師は,パターナリズムを発揮しようとすればするほど,尊重されるべき意思と無視すべき不合理な決断を区別できなくなっていくのではないだろうか.


2016年12月21日水曜日

精神疾患患者の健康格差をなくすには(part 3)


NEJMのMEDICINE AND SOCIETYに
3週連続でLisa Rosenbaumが精神疾患について寄稿しています.

そのうち,2週目のテーマが
「精神疾患患者はなぜ寿命が短いか」
であり,じっくり理解したい内容でしたので
いつものとおり何回かに分けて全文翻訳していきます.


Closing the Mortality Gap — Mental Illness and Medical Care
Lisa Rosenbaum, M.D.
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N Engl J Med 2016; 375:1585-1589



能力を評価する

 D氏は胸痛発症後ERに運びこまれ,Levineはその知らせを朝早くにすぐ受け取った.Levineは循環器科医として診察をしたうえで冠動脈造影をすすめたがD氏は拒否した.そこでLevineは治療チームに,患者には処置の同意を行うことができる国選弁護人の後見人がいるし,もし後見人に連絡がつかない場合は倫理委員会のコンサルトが必要になると伝えた.「患者は拒否するだけの意思決定能力がない」とLevineは私に言った.

 Levineは治療チームに一日中何回も電話をかけては進捗を聞いたが,後見人には午後2時に連絡がついたもののすぐに途切れ,ついぞ晩まで折り返しもなかった.治療の遅れは,処置に見合う利益が担保できなくなるということであり,D氏の意向を無視することを正当化できなくなるということである.しかし,利益が明らかで,見返りが大きく,患者の決定能力が欠如していて,ルールがすっきりしている典型例の場合は,暗黙の了解のもとに医師は患者の意向を無視すべきである.ということは,目の前の患者に意思決定能力があるかどうかを決断する際に,バイアスになりうるものが入り込む余地があるということだ.

 ミシガン大学の保健衛生法教授であるNicholas Bagleyが説明するように,意思決定能力の有無は,規則(赤信号では止まりなさい)ではなく基準(安全じゃないと思ったら止まりなさい)により評価される.だから私たちはこの評価を上手にすることができないのである.ある研究によると,入院患者302人のうち,治療について同意する能力が欠如している割合は40%であるのに,治療チームは25%程度であると過少に認識していた.「自分の基準を明確にせずに,患者の意思決定能力の欠如を云々するなんてとんでもない」とBagleyは語っている.

 私たち医師が患者の意思決定能力を誤って評価してしまう理由の一つは時間だ.適切な評価を行うのに20分もかけていられないことはざらにあるし,患者の意向を無視する長々とした手続きを踏むより,患者には治療拒否の意思決定能力があるとみなす方がずっと時間を短縮できる.しかし,患者の意向を無視して処置を行うことは,時間以上のものを消費してしまう.私たち自身をすり減らすのである.血色の良い精神病患者を鎮静抑制し望まない治療を無理やり行うのは,いくら医学的必要があるからとはいえ残忍さが残ることは避けられない.


2016年12月7日水曜日

精神疾患患者の健康格差をなくすには(part 2)



NEJMのMEDICINE AND SOCIETYに
3週連続でLisa Rosenbaumが精神疾患について寄稿しています.

そのうち,2週目のテーマが
「精神疾患患者はなぜ寿命が短いか」
であり,じっくり理解したい内容でしたので
いつものとおり何回かに分けて全文翻訳していきます.


Closing the Mortality Gap — Mental Illness and Medical Care
Lisa Rosenbaum, M.D.
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N Engl J Med 2016; 375:1585-1589


医師のバイアス

 私たち医師の対応が精神疾患患者の健康に与える影響についてのデータは限られているが,その中でも比較的研究が進んでいる現象として,diagnostic overshadowingが挙げられる.精神疾患の診断名という影が患者の訴えを尽く影で覆ってしまい,様々な身体症状の原因を精神疾患に帰してしまうことを指す.例えば,急性の疼痛を訴える患者の既往にうつや身体症状がある医師が気付くと,重篤な病気をあまり疑わなくなり,追加検査をあまりしなくなることを示した研究がある.

 解釈バイアスと関連情報とは,はっきりと区別できるものだろう.例えば,胸痛患者が急性冠症候群かどうかを判断する時に,うつの既往があってもその可能性が低くなるとは考えないが,長期にわたる身体症状の既往があれば可能性を下げることができるだろう.良くも悪くも臨床判断はつまるところ審理である.

 バイアスについて研究する別のアプローチとしては,精神疾患のある患者とない患者でガイドライン推奨の治療を行っている割合が異なるかを調べるという方法がある.そしてそれはどうやら異なるようである.がんスクリーニングや待機手術,血圧管理など様々な治療において乖離があることを種々の研究が示唆している.患者の好みやフォローアップ中断がその一因ではあるだろうが,それだけがすべてではないだろう.

 それだけにとどまらない.急性心筋梗塞での冠動脈造影や血管再開通療法といった,緊急時の一回こっきりのイベントであっても,その割合には格差がある.ここまでいってもなお,バイアスが原因であるとは言い切れない.重度精神疾患,とくに妄想症の患者は,医療にかかろうとするのが遅くなり,結果として早期に再開通をしていたら良かったということが起こるかもしれない.さらに言えば,抗凝固薬併用療法を遵守できそうにない患者に積極的にステント留置をする医者はいないだろう.くわえて,D氏のように,治療をすすめても拒否されることもあるだろう.問われるべきことは,患者が必要な治療を拒否するのを医師が受け入れる,それだけでバイアスが説明できるかどうかということだ.