NEJMのMEDICINE AND SOCIETYに
3週連続でLisa Rosenbaumが精神疾患について寄稿しています.
そのうち,2週目のテーマが
「精神疾患患者はなぜ寿命が短いか」
であり,じっくり理解したい内容でしたので
いつものとおり何回かに分けて全文翻訳していきます.
前回記事「能力を評価する」の続きです.
Closing the Mortality Gap — Mental Illness and Medical Care
Lisa Rosenbaum, M.D.
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N Engl J Med 2016; 375:1585-1589
患者に何かを強制せざるを得ない事態は私たちの宿命であるが,これは法的なジレンマを想起させる.治療拒否の意思決定能力を有していない患者に必要な治療を提供しなかった過失責任で訴えられることもあるだろうし,同様に意思決定能力が欠如していると誤判断し患者の意向を無視したばかりに訴えられることだってありうる.Bagleyは,裁判所が後知恵で批判する後医としてふるまうことは「非常に考えにくい」と強調しているが,それでも「法的リスクが完全に排除できないことで医師は躊躇してしまうだろう」と述べている.
さらに悪いことに,患者が意思決定能力を有しているかはっきりしないのはよくあることである.私はよく,患者に復唱させて万事足れりとしてしまう.例えばこんな感じだ.「カリウムがこんなに高い状態で帰宅したら死んでしまうかもしれないですよ,わかってますか.」もし患者が「死んでも構わない」と言ったら,その会話をカルテに書いて,こう自分を納得させる.「ほかに何ができるって?」だが実際は,できることはたくさんある.
MacArthurテストは4つの基準を評価するものであり,意思決定能力を測定するツールとして最も広く使われている.以下の4つを達成すれば意思決定能力があると評価される.①選択肢を伝えることができる,②関連情報を理解できる,③自分の状況とその結果を実感していると示すことができる,④治療選択を論理的に考えることができる.「理解」が関連する医学的事実をつなぎ合わせる能力を反映するのとは違い,「実感」はそれらの事実が自分に関係しているという感覚を必要とする.自分の腎機能が衰えていなくても,腎不全が致死的な高カリウム血症を招きうると「理解」することは可能である.
より良質な意思決定能力評価のトレーニングが必要なのは明らかだが,どんなにトレーニングをしても,法律と倫理の分断に橋をかけるのは不可能だとも思う.意思決定を担い患者の考えを大事にするよう倫理的に託されているのだという考えが優勢になるにつれ,法的基準に則り患者の望みを無視することを正当化することはまずます下火になっていく.法律的には,消化管出血の治療を受けたばかりのしっかりした女性が娘の結婚式に出るために下部消化管内視鏡を拒否することは,妄想症の女性が前処置に蛇が含まれていると信じ込んでいることとは区別されるだろう.しかし,私たち医師は,パターナリズムを発揮しようとすればするほど,尊重されるべき意思と無視すべき不合理な決断を区別できなくなっていくのではないだろうか.