2016年10月11日火曜日

家庭医は物語を語る


今月のFamily Medicineに,家庭医教育における物語の効果についての記事が載っています.
巻頭には,ある家庭医が20年以上関わった患者についての物語が書かれてあります.

非常に良いエッセイですので,全訳しました.ご覧ください.

Teaching Continuity of Care
John Saultz,MD
Fam Med 2016;48(9):677-8.

 この号にあるVentresとGrossの論文(注:Fam Med 2016;48(9):682-7.)を読んで,家庭医を教育する上で物語を語ることがいかに重要か思い出すことができた.そこで,遺族の了承を得て,私の患者であり友人でもあるElizabeth Cowles Hedenの物語を皆さんと共有しよう.

  私が初めてElizabethに会ったのは1990年代の中頃だった.彼女は, 私が家庭医として自分にあっているか見定めるために,メディケア(注:アメリカの高齢者向け医療保険制度)でのget-acquainted visit(注:医師が患者を知る(あるいはその逆)のための初回診察,という意味か.アメリカの医療制度に不案内なのでよくわかりません)をした.今までかかっていた医者がリタイヤしてしまい,私たちのオフィスが彼女の家からほんの約6ブロックしか離れていなかったのが彼女がここに来た理由だった.彼女の家は1930年代に最初の夫と建てたもので,その夫は彼女の人生の良き伴走者であった.私は初めて彼女を診察した時のことををまるで昨日のことのように思い出せる.85歳の彼女はアメリカのおばあちゃんまさにそのものという風貌であった.彼女は目をぱちくりさせながら私がどんな医者なのかについて準備しておいた質問をし,また自分はどんな医者を探しているのかを私に教えてくれた.私たちはすぐに意気投合したが,それからの15年間で私を待ち構えているものを知る由などなかった.

  Elizabethは1910年の夏に生まれ,7歳でポートランドに引っ越してきてからはおばあさんに育てられた.1991年に二番目の夫が死んでからは彼女は一人で暮らしていた. 2人の息子,JackとGaryは遠くに住んでいたが,愛する甥が近くに住んでおり,また教会には友達がたくさんいた. 彼女と出会って初めての冬,私は天気が悪い時は訪問診療に行くことにした.彼女の家はきれいに整頓されてかわいらしい家族写真と家具がたくさんあり,彼女の個性をまさに反映していた.彼女の全身状態は良好であり,訪問診療ではちょっとした不調を診たり関節痛と高血圧を管理することが大半であった.2回目の訪問のとき,私はリビングにあった小さいオルガンについて彼女に質問した.Elizabethは,息子がベトナムの戦闘パイロットとして派兵されていた時に毎日そのオルガンを弾いていたと教えてくれた.オルガンを演奏しながら捧げた彼女の祈りが通じて息子は生きて帰ってきたと彼女は信じていた.だから,戦争が終わりオルガンをひかなくなったとはいえ,それを捨てることはできなかった.Elizabethは熱心に庭いじりをしており,立派に実ったトマトを誇りに思っていた.毎年夏には私に何個か野菜を渡してくれたものだった.そして私も自分の家の野菜を友好の証として彼女におすそ分けした. ある年のサンクスギビングデイでは,彼女の息子が二人とも帰って来れなかったので,Elizabethは私と妻と一緒に私の家でディナーを共にした.そこで彼女は,1920年代のポートランドの話をしたり,女性アイスホッケーチームで活躍した経験を話したりして私たちを楽しませてくれた.年を重ねるにつれ,彼女の関節炎はひどくなっていき,庭いじりを続けるのが難しくなっていった.1999年の12月,次の春にはもう庭に木を植えることができなくなっているだろうと彼女は言った. いつ家を出て行こうと考えているのか私はすぐ彼女に尋ねた.もう 代理人と契約しているのと彼女は答えた.その日私と一緒にいた医学生はその会話に困惑していた.彼女にとって庭いじりがどれだけ重要かを知らなかった彼は,どうして私がすぐに引っ越しについて彼女に尋ねたのか理解していなかった. その家には人生の思い出がつまっていた.介護付き住宅に引っ越した後,わたしは心を込めて鉢植えのトマトをプレゼントした.

 それから2010年まで,Elizabethは徐々に弱っていった.4月の初め,寒い冬のような日に彼女を訪れた際,彼女は息子をいかに誇りに思っているか,自分の信念がいかに自分にとって大事なものかを私と語り合った.彼女はその年の6月にやってくる100歳の誕生日を楽しみにしていたが,その日まで生きながらえることはないだろうと自分でわかっていた. 車に戻っているとき,彼女の部屋のすぐ外にある楓の木の枝でコマドリが鳴いているのに気付いた.春はもうすぐだった.
 Elizabethはその数日後,2人の息子とその家族,そして甥に囲まれて息を引き取った.私は彼らに会い,彼女の医者でいられたことをどんなに誇りに思っているか話した.葬式には妻と参列した.教会はいっぱいだった.35年の家庭医人生で,私がその人の生活に入りこむことを許してくれた多くの素晴らしい人々がいるが,Elizabethもその一人であった.私は彼女に正しいことをしてあげられただろうか.彼女が私に正しいことをしてくれたように.

 これまで研究者としてのキャリアを通じて私は,患者にとってそれがどんな価値があるのかを理解するために,ケアの継続性を測定する方法を研究してきた.そして,ここ15年間にわたり,自分の学校の家庭医クラークシップを選択した学生全員に,研究から得られたデータを提示してきた.しかし,いくらデータを紐解いても,私とElizabethとの関係性がどれだけ重要なものなのかを理解することはできない.その価値はエビデンスでは証明できない.にもかかわらず,彼女の物語を聞くと学生は継続性について学習しようとするのである.物語を語ることが,「誰かの医者である」とは何かを説明するのに最善の方法であるのだ.

 私はよく,Elizabethと初めて会った時のことについて考える.どんな医師患者関係は長続きして,どんな関係は一時的なもので終わるのか,私たちが知ることは決してない.それは私たちの仕事の美学である.新たな患者との出会いすべてが,特別ななにかの始まりになりうる.私のように同じ患者を30年間も診つづけることができる幸運な家庭医はそんなに多くない.Elizabethの家や施設に訪問診療に行く時間を確保できる人も多くないだろう.しかし,有意義な医師患者関係は共有された経験に立脚している.このような経験は,自分で起こそうとしない限り起こらないものだ.VentresとGrossは正しい.家庭医療で最も大事なことは,物語が一番教えてくれる.このような物語を共有し続ける限り,医学生に家庭医療の魅力を感じてもらうのに苦しむことはないだろう.