心血管疾患を有する高齢者は多く、プライマリケアで薬剤管理をすることもよくあります。
DOACなど抗凝固薬はつねにbenefitとharmのトレードオフが付きまといますし、抗血小板薬もいつまでどのくらい服用するのかなど、このあたりの薬剤の開始・続行・中止は常に患者とshared decision makingしていく必要があります。
しかし、臨床の肌感覚ですが、薬剤治療の益と害について高齢患者と深く議論しているのは、薬剤を出す患者の1-2割にとどまっているような気がします。
多くの場合が、「前からこの薬を飲んでいた」「医者が飲めと言われる薬を飲んでる」というコンテクストで、特に議論のないまま継続処方となっているのではないでしょうか。
この論文では、75歳以上のニュージーランド北部在住の患者を、民族が多様になるように研究リクルートしています。クリニックだけでなく、地元の図書館、ソーシャルグループ、礼拝所のチラシ、口コミでリクルートしており、努力がうかがえます。
質的研究に患者をリクルートするのって結構大変で、しかも多様なバックグラウンドの参加者を集めようと思ったら、地域に出ていくのが最適なのかもしれないですね。
1対1のインタビューと、1対多のフォーカス・グループを組み合わせて、データを収集しています。録音した発言内容を逐語的に書き起こし、テーマ分析を行っています。
すると、以下の4つのテーマが出てきました。
(i) CVD治療薬の有益性を強調し、有害性を軽視する
(ii) 治療薬を服用せざるを得ないと感じる
(iii) 「私の」医師を信頼する
(iv) 治療薬が継続されることを期待する
筆者たちは、高齢CVA患者は、悪く言えば医師の言いなりになっているのではないかと指摘しています。主体性をもった治療方針の決定がなされていないかもしれないと述べています。
この研究はニュージーランドのものですが、日本でも同様の傾向はありそうです。
質的研究の面白いところは、限られた患者数を対象にしていても、深く分析することで、「あ、それそれ、分かる!」と読者に思わせることができることだと思います。
量的研究でいう外的妥当性external validityに相当する概念として、移転可能性transferabilityというものがありますが、これがまさにそうです。
私は、この研究結果は日本の高齢心血管疾患患者の診療においてもtransferできると感じました。
明日から、治療について話し合う時に、患者の主体性により着目してみようと思います。