最近はブログを更新する時間が取れず、ご無沙汰しております。
文章を書く機会が増え、日本語について考えることも多くなりました。
ある文書で、「特別な扱いは要しない」という表現をみました。
直観的には、「特別な扱いは要さない」のほうが自然なのでは、と思いましたが
元の表現も十分成り立つようにも感じ、調べてみました。
「要する」は「要」+「する」の複合動詞であり、活用は「する」と同じサ行変格活用です。
なので、「する」→「しない」と同じ活用で、「要する」→「要しない」が正しいことになります。
ここからが奥深いところです。
「漢字一字+する」の形の動詞で、サ行変格活用ではなく四段活用をする例が増えているようです。
例えば「愛する」。たしかに、「愛しない」も「愛さない」も自然に聞こえます。
これは、「漢字一字+する」を複合動詞ではなく一つの動詞ととらえる感覚になったからではないかと思いました。
「欲する」「発する」などもそうですね。
「漢字一字+する」ではない複合動詞を考えればより分かりやすくて、
「計算する」は「計算しない」としか言えませんし、「パーマする」も「パーマしない」としか言えません。
ですが、「愛する」は「愛しない」も「愛さない」もどちらも許容できます。
以下はわたし個人の考えです。
わたしは、「特別な扱いは要しない」と「特別な扱いは要さない」であれば、後者のほうがどちらかというと自然かなと感じました。
ですが、「特別な扱いを要しない」と「特別な扱いを要さない」であれば、微妙な差ですが、前者の自然さが強まったように感じます。
(とても細かな感覚の違いなので、そう思わないという人もたくさんいるでしょう。)
これは、副助詞「は」と格助詞「を」の働きの違いに端を発する違いなのでは、と思いました。
主題を示す副助詞「は」をつかうと、「は」の後で一度文章が途切れます。なので、その後の「要する」がひとまとまりに見えて、「要さない」がより自然に響くのではないでしょうか。
一方で、格助詞「を」をつかうと、「要する」という動作の対象が「特別な扱い」であるという関係性が示されるため、「AをBする」という分全体の構造がより明らかになり、「要する」が「要+する」と2つの要素に分かれやすくなり、「要しない」がより自然になるのではないか、と考えました。
議論の正しさはともかく、ちょっとした引っ掛かりからあれこれ考えることができ、満足しました。
お目汚し失礼しました。
次に更新するときは、もうちょっとまともな記事を書こうと思います。